ホンダのクルマ

ホンダのF1!活躍するクルマとレーサーたち

ホンダのF1の歴史は古く1964年から始まりました。休止期間を挟みながらの4期にわたる挑戦の中では、多くのクルマやレーサーが活躍し、F1に華を添えてきました。ここでは、その主な歴史についてご紹介します。

記念すべき初優勝!RA272とリッチー・ギンサー

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1964年の参戦初年度は、わずか3戦の参加に留まったホンダチームは、翌1965年度にはシャーシに前年のRA271をベースに開発されたRA272を投入し、レーサーにはフェラーリ等でも活躍したアメリカ人リッチー・ギンサーを迎えました。しかしながら、前半戦はリタイアが続き後半戦も結果を出すことができていませんでした。
そのような中、ホンダチームは最終戦であるメキシコグランプリで起死回生を図るべく、標高2000メートルを超える高地にあるサーキット対策として、グランプリ直前に高地対策のテストを実施するなど十分な対策の上、本番用のセットアップを行いました。その結果、予選は3位だったものの、決勝レースでリッチー・ギンサーはスタートダッシュを決めてトップに立つと、その後は首位を譲る事なくフィニッシュラインを切り、見事にホンダF1の初優勝を果たしました。
この勝利は、ホンダ参戦11戦目の快挙であると同時に、翌年から3.0リッターエンジンに変更になるために本レース限りとなった1.5リッターエンジン時代のF1最終戦での勝利という歴史に残る勝利でもありました。

伝説の1988年!マクラーレン・ホンダ16戦中15勝

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ホンダF1の第2期は、シャーシやエンジンを含め全て自社製造で参戦した第1期とは異なり、名門マクラーレンチームにエンジンを供給するエンジンサプライヤーとしての参戦でした。
10年に及ぶ第2期の中でも特筆すべきは、1988年です。この年は、マクラーレンによる新設計のシャーシMP4/4にホンダエンジンRA168Eを搭載し、レーサーにはアイルトン・セナとアラン・プロストという最高のドライバーを擁した結果、16戦中15勝という圧倒的な成績でコンストラクターズ部門を制し、ドライバーズ部門でもアイルトン・セナがタイトルを獲得しました。この年のマクラーレン・ホンダはポールポジションも15回獲得しており、決勝における持続的な速さや高い信頼性だけでなく、予選における純粋な速さという点でも他のチームを圧倒しており、向かうところ敵なしの状態でした。
ちなみに、マクラーレン・ホンダは、この年から4年連続でコンストラクターズ部門のタイトルを獲得しました。この時期は、まさにマクラーレン・ホンダの黄金期であり、日本でもアイルトン・セナの人気とともに、F1人気に火がついた時期でもありました。

夢よ再び!マクラーレン・ホンダ復活

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2000年から始まったホンダF1の第3期は、2008年末に開かれたホンダの緊急記者会見で、2009年以降F1から「撤退」する方針が表明され、2008年で幕を降ろしました。
「休止」ではなく、「撤退」という文言により、今後ホンダがF1に関わることはないのではないかと心配されていましたが、2013年の記者会見で、2015年よりパワーユニット(エンジンおよびその周辺システム)のサプライヤーとしてF1へ復帰すると発表したことによって、2015年からホンダF1の第4期が始まることになりました。
パートナーは、第2期時代の黄金コンビであるマクラーレンであり、ここにマクラーレン・ホンダが復活しました。 シャーシはマクラーレンのMP4-30、エンジンはホンダのRA615Hの組合せで、レーサーはジェンソン・バトンが残り、フェラーリからフェルナンド・アロンソが復帰し、両名ともワールドチャンピオン経験者という強力な布陣となりました。
しかし、初年度の2015年はエンジンのパワー不足等の問題に苦しみ、優勝はなくコンストラクターズ部門も10チーム中9位という順位に終わり苦しい年となりましたが、後半戦になるにつれ、タイム等でトップチームと争える場面も増えており、名門マクラーレン・ホンダの今後が期待されます。

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